【講演レポート】教養講座「向大野新治氏」講演要旨
2016年08月13日
2016年7月8日 衆議院事務総長 向大野新治氏講演要旨
◎通説的国会論では理解できない国会のあり方
今回の地震、大変だったでしょう。ブルーシートが痛々しい限りで、お見舞い申し上げる。私も東日本大震災のとき国会議事堂にいたが、大変な揺れだった。議事堂は昭和11年に建てられたものだが、日本で一番地震に強い建物であり、特に被害はなかった。
向大野というのは珍しい姓だが、父親が熊本の芦北の出身で、私は福岡で生まれ育った。
衆議院事務局に入って35年。私の主要な仕事は議長を補佐することだ。明後日(10日)は参院選なので、安倍政権をどう思っているかなどは立場上、具体的な話はしづらい。今日来たのは、皆さんが信じているメディア的な国会論とは違う話をするためである。国会について一番多いのは、メディアを通じてのネガティブな見方だ。しかし、実は日本の国会はネガティブなものでないという話をしたい。
国会というと、①立法権、②国政調査権、③首相指名権という認識だと思う。しかしこれは仕事のやり方を言っているだけで、多くの人の思いは、国会は議論して国の大事なことを決めるところ、ということだろう。だから国会に期待するのは、私利私欲に走らないでほしいとか、自民党は自民党支持者だけでなく国民全体のことを考えて決めてほしいとか、決めるにあたっては理性的に議論し、暴力やカネを動かして決めるのでなく、粛々と決めてほしいなどということだろう。
ところが、現状を見ると、与党が何でも優先的にやっているのと同時に、野党は「審議不十分」といって暴力を振るっていることに挫折を感じてしまう。それゆえ、国民投票をやった方がいいと思っている人が多い。でも、英国の国民投票を見ていると、やはり大きな問題がある。国民は主権者だが、実際の統治者ではなく、統治上の責任は取れない。そうした人が決定権を持つことには反対だ。
国会に対してネガティブなのは正しい見方だろうか。基本的には、それは間違いだというのが私の考えだ。学説は、日本は三権分立の国で、立法権・司法権・行政権があって、それぞれが牽制し合っているというが、この考え自体がどうなのか。「立法権とは何でしょう」と聞いたときに「法を作ること」と答えているが、それは「スマホとは、スマートフォンのこと」と答えるようなものだ。答えになっていない。立法権は何のためにあるのかを答える必要がある。立法権も行政権も定義できないのに、どうしてその間の関係を規定できようか。
ロックの時代までは、統治権が明確だった。名誉革命があって一時的に国王がいなくなったのを見て、モンテスキューは立法機関が統治の主体となり、意思決定権を持ったと考え、議会が物事を決め、国王政府がその通りに執行するとともに、議会の間違いを正すと考えた。しかし、執行機関は手足として、必ず頭(議会)の言うことを聞かなければ、組織的におかしいのではないか。また、議会には400~500人の議員がいるのに、これを1人の国王が牽制するというのでは、全く「牽制」の常識からして意味不明の理論となるのではないか。
皆さんは、日本のリーダーは誰かと聞かれると、「安倍晋三」と答えるだろう。リーダーは何をするのかと聞くと、国を引っ張っていくと答えるだろう。では国会は何をするのかと聞くと、国の政策や進む方向を決めるという。それなら、安倍さんと国会はどこが違うんですかと聞くと、違いが答えられない。結局、立法権や行政権を正しく定義できないからである。
実は、執行権はつまるところ統治権であり、日本では安倍首相が執行権者であり統治権者だ。もし神が統治権者なら、その監視役はいらないが、人間が統治するから、統治者が暴走しないように(監視するために)、統治の基準や方法を定めるということで立法権があり、それをちゃんとやっているかを見るために国政調査権があるのだ。
要は、統治権の外側にあって、その統治をより良いものにするのが議会なのである。そして、統治権者である内閣総理大臣も議会が選ぶということで、議会の存在意義である統治の最善性が実現されるのである。よく国会は権力闘争に明け暮れていると批判する人がいるが、最終目的が総理を選ぶこととなれば、野党としては政権が推進する安保法制のような重要法案をつぶせば、最も打撃を与えることになるのである。
実際、議会の歴史を見ても、その通りだ。世界最古の議会と自慢しているのは、アイスランドで939年のことだ。英属領・マン島の議会も古いが、現在の仕組みの元になったのは、1265年創設の英国議会である。議会は最初、王が税金を取りたいと思って召集した。お金を出す側は強いから「王様、こうしてください」といって議会の仕組みが整備されてきた。そして統治の基準を定める立法権と、その実行を監視する国政調査権が確立した。国王が統治者、それを制御するのが議会だった。ところがクロムウェルの革命が起き、チャールズ1世が殺され、議会がトップに立つようになった。チャールズ2世が復帰したが、議会の力は衰えず、それを見たモンテスキューは王様に代わって議会が主権者になったと考えたが、これが間違いだったのである。
世界の議会で日本の国会ほど機能している国はない。英国議会は議員が650人いるが、普段はわずかしか本会議に出ない。日本の議員は、最低でも6割は出る。アメリカは大統領を国民が直接選ぶため、議会があまり機能していないと私は考えている。これに対して日本の国会は、本当に議会らしく機能している。学者は間違ったモンテスキューの三権分立論を信じているから、そうしたことを一切言わない。
もう一つは、メディアの責任がある。国会は年間100本以上の法律を作っている。国民は国会がスムーズに行われているうちは関心がないし、メディアはある程度反権力的でないといけないと思っていて、何もなければ、報道しようとしない。これでは、国会の普通の姿を知ることはできない。
では、メディアが好きな乱闘はどうだろうか。これは、向大野がどう考えようと、弁護できない問題ではないかということである。私も若い時には、なぜ国会ではちゃんと椅子に座って話をしないのかと思った。でも熊本地震のように、自分の命がかかっているときにはどうだろうか。「この法案が通ると生きていけないから、先生、反対してください」と頼まれて、国会で「総理、国民のことを考えてないのか」と厳しく追及すればそれで済むのか。委員長が「では質疑が終わりましたので、採決に入ります」と言ったときに、ただ反対のために椅子に座っていればいいのかということである。それじゃ、あんまりでしょう。自分に関わる予算が減らされたら、「私の怒りをキチンと示してもらいたい」と言いたくなるでしょう。委員長席にかけ寄って委員長を怒鳴ってくれれば、「よくやってくれた。われわれの怒りを示してくれた」ということになるのではありませんか。政治はアートであり、歌舞伎だとも言える。歌舞伎は現実のことでないが、みな感激して涙を流す。国会も感激して涙を流し、みなの溜飲が下がることが大事だ。国会のことをネガティブに思っている人が多いが、今の国会は、すごくうまくやっていると思っている。
(文責・井芹)
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