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2016年01月27日
2015年12月11日 神戸芸術工科大学学長 齊木崇人 講演要旨 2016・1・23
◎ガーデンシティーの実験(イギリスの田園都市レッチワース)
19世紀の西欧産業革命以後、専門分野が細分化され、いまや専門分野の融合、再統合が必要とされている。今年、大村智さんと梶田隆章さんがノーベル賞を受賞されたが、お二人は皆さんと同じ年齢の頃から、ある一つのテーマをめざして人類と地球社会のための仕事をされてきた。数十年の持続的な蓄積に感動した。
100年前のことは過去のことのように思われるが、100年前に起きたことは重なり合い現在を構成している。
世界で初めて誕生したイギリスの田園都市レッチワースは100年前に建設がはじまり、今も更新されている。4キロ四方に3万4000人が暮らし、真ん中に住宅地があり、周りに農地がある。その農地をグリーンベルトという。
エベネザー・ハワードは、その田園都市を「発明した」と言っている。産業革命末期のロンドンの劣悪な環境の改善をめざして1898年に『TO-MORROW 真の改革への平和の道』という本を出した。ノーベル賞は1901年からスタートしたが、それと同じ頃、1903年からレッチワースの建設が始められた。日本のニュータウンは千里ニュータウンが1956年で最初に建設されたが、約50年で解体が始まっている。レッチワースは田園と都市の計画がしっかりしているので、生きつづけている。
都市にとって最も大切なのは都市運営である。資金、税金を集めて代表者が運営していくマネージメントが大事だ。日本では都市計画を道路や建物を建てたりすることと考えられている。レッチワースを計画した記録「都市計画の実践」には、日本の花見文化をモデルに労働者のために花が咲く並木道を取り入れたと書かれ、それが実現している。レッチワースに住む人達が初期に作った「セツルメント」と呼ばれる集会施設がある。これを設計した都市計画家レーモンド・アンウィンと建築家バリー・パーカーは、レッチワースのタウンプランナーとして見守ってきた。日本のニュータウンでは同じ家が並ぶが、レッチワースには同じデザインの家がない。住宅のデザインはイギリスの田園地帯に分布する中世からの村をフィールドワークして学び建てたもので、まだ100年経たないが、その住宅群の多くは文化財になっている。
レッチワース100年の形成史を10年ごとの地図上で紹介した。1900~2000年と続き、100年を経て今も造り続けられている。提案をしたアンウィンはイギリスに都市計画の大学を作った。その後、米国のコロンビアでも開学し、日本では東大と早大に都市計画専攻ができた。
アンウィンは中世から続くカージーやキャベンディッシュというイングリッシュビレッジを研究し、それをレッチワースのデザインに反映している。レッチワースでは土地は購入せず、運営する財団に地代を払う。その地代がコミュニティーに還元され都市環境が維持されている。レッチワースの土地は途中で企業に乗っ取られる危機的な状況もあったが、乗り越えた。その後、住民は住環境の質を維持するために自分たちでルールを作っている。
実はレッチワースと同時期にシカゴの郊外に、オルムステッドの計画したリバーサイドが誕生している。産業革命の末期には多様なガーデンシティーの考えが誕生した。
レッチワースは1903年から造られ始めたが、過去の経験を生かしたものだ。1908年には日本人として初めて生江孝之がレッチワースを訪れ日本に紹介した。これが阪急の小林一三や田園都市開発会社の渋沢栄一らに影響を与え、阪神間の良好な住宅地や多摩川の田園調布が誕生する。
私は2001年、(神戸市内の)108haのゴルフ場跡地に「ガーデンシティー舞多聞」をデザインするチャンスを与えられた。1995年に阪神淡路大震災後住宅が不足し、新たな住宅地を建設することになった。ゴルフ場跡地の地形や起伏を調べ、コミュニティーのありかたを提案し、UR(日本都市再生機構)理事会で採択された。元の計画は中高層住宅が建てられる予定だった。それを変更して低層住宅地とし、住みたい人達を募集し、未来の住民と一軒一軒モデルを作り、公開講座やワークショップを月1回開くなどグループで検討した。ワークショップで建物や庭についてのルールを住民が自分たちで作った。街が生き続けていくためにはコミュニティーが活動していくことが必要だ。こうした街が作られていくプロセスを絵本にした。2001年に提案した計画が、十数年経っても継続されている。
「ガーデンシティー舞多聞」の計画の過程でまちづくりのプロセスを考究した。
その図の右は「課題の発見」プロセスを示し、左は「課題の解決」のプロセスを示している。この2つのプロセスを使って未来を提案したい。問題の発見力が大事だが、そのためには仮説が必要で、事実を確かめ、課題を明らかにする必要がある。さらに社会に問いかけ実践することが必要だ。実践すれば失敗は必然的について回るが、それらから学び、新たな仮説を生み出して行かなければならない。
現代の日本のニュータウンが抱える課題は、われわれの世代で何とか解決しなくてはならない。田園都市を考えるとき「土地に敬意を払う」という表現があったが、ニュータウンを作るとき区画整理事業で土地を平らにして売却し、資金を集めるという発想でやってきた。コミュニティー作りやマネージメントがおろそかになっていた。戦後、物を作って金を生み出せば生活や環境が豊かになると考えたのは幻想だった。戦後だけでなく、レッチワースやノーベル賞が始まった頃まで遡り経験の功罪を含めて考えないといけない。まちづくりのプロセスで「課題の発見」の右腕を回すだけでなく、「課題の解決」のプロセスの左腕も回して実践を通してやっていく必要がある。
今日の人口減少社会が大変困ったことだといわれるが、私は、人口減少社会はチャンスがあると思っている。これまで日本は人口が急増する中で理想とする住環境も仕事も選べなかったが、これからは環境も仕事も選べるチャンスが出てくる。私は団塊の世代だが、近未来をつくれるような仕事をしたい。それを若い皆さんがきちんと引き継いでもらいたい。教育に従事する身として言いたのは、この「問題を発見」する力と「課題を解決」する力を使って、崇城大学を出てから社会に役立つよう新しい職能を獲得してもらいたい。
本日紹介した田園都市レッチワースは、現代の都市と社会環境を写す鏡だと考えている。100年の人類の歴史の経験の中から学び、皆さんの中からノーベル賞を取る人が出ることを願っている。皆さんの未来にチャンスがあります。
(文責齊木2016・1・23)
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12.11 | 齊木 崇人 (神戸芸術工科大学学長) | ガーデンシティの実験 |
12.18 | やました ひでこ (「断捨離」提唱者) | 引き算の美学 ~断捨離で日々是ごきげんに生きる智恵~ |
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(敬称略)