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  1. 【講演レポート】教養講座「上村春樹氏」講演要旨

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【講演レポート】教養講座「上村春樹氏」講演要旨

2016年11月08日

2016年10月14日 講道館長 上村春樹氏講演要旨
◎指導者の条件

世界選手権も難しいが、世界選手権は毎年あるのに対して、オリンピックは4年に1回だからより難しい。その日にベストの状態に持っていくこと、悪い時は悪いなりに勝つことが非常に難しい。日本にはいくつ金メダルがあるか。冬が10個、夏が142個の計152個です。種目別で最も多いのが柔道の39個で、レスリング32個、体操31個などと続く。メダル総数は484個です。

オリンピックには「心・技・体」を高めていかなければならない。そのうち一番難しいのは何か。唯一、有限なのが「体」だ。心と技は無限だ。繰り返し練習することで「技」は磨ける。ゆっくり、正確に、繰り返しやる。「心」は難しいが、二文字で表すことで解決できる。「自信」だ。自信を持って臨むのと不安で臨むのでは全く違う。今日の演題に「指導者の条件」とある。他人を教えることも指導だが、自分を指導することがもっと大事だ。 私が柔道選手として自信を得たきっかけは、3つのいい機会に恵まれたことだ。一つは先生との出会い。二つ目は条件の悪い宮崎県延岡市の旭化成に入ったこと。皆が反対した。反対されると、行きたくなった。それに(明治大学柔道部監督だった)神永(昭夫)さんから「お前行ってこい」と言われたのが決め手となった。

柔道を始めた最初のきっかけは、兄が行っていた道場に通ったことだ。そこの先生は少し目が悪かった。目が悪いから、音で判断される。バシッと投げたとき、「いま投げたやつは誰だ。この投げ方を忘れるな」と言われた。相手の体勢を崩してタイミングよく技をかけたときは音が違う。インターハイには出られなかったが、福井国体に出て5人に1本勝ちした。それを見ていた神永先生が「面白い。明治大学に来い」と言われた。担任からは「お前の頭では受からん」と言われたが、英語の補講をしてもらい、猛勉強して明治大学に合格した。
大学時代、体重別選手権が講道館であった。その時は、組んですぐに絞め落としで仰向けに倒れた。講道館の観客が全員、私を見ていた。柔道をやめて熊本に帰ろうと思った時、神永先生からの、この言葉がなかったら今の自分はなかった。神永先生からは「春樹、人並みにやったら人並みにしかならないぞ。人並み以上に、他人の2倍、3倍やらないとチャンピオンにはなれないぞ」と言われた。それで他人より1日20分多くやろうと決めた。1年で124時間。春夏の休みの40日分になる。妥協せずに練習しようと思い、真剣に投げられまいと練習したので、守りだけは強くなり「ザ・ガードマン」と言われたこともある。

大学3年の時、ポーランドであった世界学生選手権に行った。ワルシャワまで行くのに5日間もかかった。93kg以上のクラスに出るのだが、自分は5kg足りなかった。宿舎はポーランドのオリンピック選手養成所だったが、食事がひどかったので、自炊して豚汁を作った。翌朝食べようとしたら、ゴキブリが2、3匹泳いでいた。すくい上げて出して加熱して食べ、93.3kgで計量をパスし、そこで優勝したので自信がついた。
昭和48年の全日本選手権では、まぐれで決勝までいったが、それまでに両ひざを痛めていた。決勝の相手は警視庁の高木(長之助)さんだった。それまで一度も勝てなかった。出るのをためらっていた時、神永さんがニコッとして「こういうチャンスは一生に一度しかないぞ。足は折れてもよくなる」と言われ、「よし、やろう」と踏ん切りがついた。私は左からの技が得意なのだが、その時は右の背負い投げを出したら決まり、全日本チャンピオンになれた。オリンピックの金メダルよりうれしかった。
ただ翌朝の新聞は「上村フロックで優勝」と書いた。「上村の柔道は世界大会では通用しない」とも書いていた。それがオリンピックで金メダルを取った時には「お前は外国人に対して一番強い」と言われるまでになった。その時は「もう一度、全日本チャンピオンを取ってやろう」と思ったが、その道は思った以上に厳しかった。

昭和49年にベスト8で敗れた時、旭化成社内に"上村をオリンピックに出すためのプロジェクトチーム"ができて、月1冊ずつ本を読まされた。その中に糸川英夫著の『逆転の発想』があった。それを読んで自分の弱点と思っていた「身体が小さい」とか、「スピードがない」というのが自分の武器になると気付いた。よく練習で坂道ダッシュなどを皆やるが、私は下り坂ダッシュをしてバランス感覚を磨いた。世界選手権で勝てたのも、逆転の発想があったからだ。

もともと上がり症だったので、講道館の試合では毎回、観戦に来てくれる父の顔を確認できたら安心した。それから相手の顔をじっとにらみつけ、相手が顔を逸らしたら「よし勝った」と思った。ところが全日本選手権に初出場した山下(泰裕)君は、目を逸らさなかった。後で山下君に聞いたら「目を逸らすと負けると思った」と聞いてびっくりした。初出場の時から優勝しようと思っていたのだ。 目標のない人はだめだ。長期の目標だけでなく、中期と毎日の目標を持ってやらないと強くならない。疲れている時は「明日から」という便利な言葉があるが、将来に向かってのスタートは今だ。もう一つは「風邪気味」と言って休もうとすることだ。風邪なら休んでいいが、風邪気味は口実だ。二つとも便利な言葉だが、これを使わないようにしなくてはならない。
修行のやり方として「守・破・離」ということが言われる。「守」とは基礎をしっかりやる、「破」とは量をこなす、「離」とは自分なりの柔道を作ることだ。敵のことを知らずして戦うなというが、己のことを知らずに競技してはならない。自分の弱さを知った上で試合に臨むことが必要だ。勝ちにはラッキーな勝ちがあるが、負けにはラッキーということはない。必ず原因がある。負けに「不思議の負けなし」とも言われる。
選手に知っていてほしいことが3つある。一つは続けることの大切さだ。二つ目は量をこなすことの大切さだ。作家の井上靖先生は大の柔道好きで自宅にお邪魔すると、3時間近く話をされ、最後に若い人への言葉として「柔道は全て練習量で決する」と言われた。三つ目は当たり前のことをやる大切さだ。選手にやる気を起こさせるのが、指導者の役割だ。

最後に言っておきたい。皆さんはいろんな所に行き、いろんな経験を積むことになると思うが、そのとき「何で?」という疑問を持ち続けてもらいたい。「何で?」という疑問を持ち続けたら、必ず成長する。皆さんが大きな夢を持ち、大きな目標を持っていれば、必ず物事は達成できる。そこで「やりきる」ことが大事。頑張りきる。勝ちきる。悩んでも悩みきることが大事だ。
(文責・井芹)


DSCF5283上村春樹氏.JPG
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9.23 山川 烈 (崇城大学副学長) グローカル時代を悔いなく生きるために
9.30 川﨑 博 (ホテル日航熊本社長) 二つの仕事を体験して思うこと
10.7 神田 陽子 (講談師・崇城大学各員教授) 講談と遊ぶ・学ぶ(まねぶ)
10.14 上村 春樹 (講道館長) 指導者の役割
10.21 山下 泰雄 (通潤酒造(株)社長) KPPと一緒にブルーオーシャンへ~造酒屋の冒険~
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(敬称略)