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【講演レポート】教養講座「バイマーヤンジン氏」講演要旨

2017年01月18日

2016年12月2日 チベット声楽家 バイマーヤンジン氏講演要旨
◎私の見たチベットと日本


私が着ているのは民族衣装。結婚式やお祭り、お祝いの時に着る。これもチベット文化の一つだ。こういう顔立ちなので、民族衣装を着ていなければ、よく日本人に間違えられる。大阪の駅では、なぜか私に道を聞く人が多い。でも話をすると、「あんた外国人?」と聞かれる。「チベットから」と答えるのだが、チベットはまだ知られていないのか「白鵬さん、応援してます」とか、「ナマステ」とネパール語で挨拶される。「留学生?」とか「出稼ぎ?」とも聞かれる。留学生でも出稼ぎでもない。一番聞かれる質問は「日本に来たきっかけは何か」。
それは私の大好きな主人が日本人だからだ。大阪に住んでいるのも主人の実家だからで、一時期は主人のお祖母ちゃん、両親、私たちの子ども4世代が同居していた。実は主人の姉の旦那さんはここ(崇城大学)の出身で、IT関係の社長をしている。

ところで、チベット人が来ると聞いたとき、皆さんはどう想像しましたか。チベットは現在は中国の一部となっているが、その地域はチベット自治区だけでなく青海省、四川省、甘粛省、雲南省の一部を含み、日本の国土の6倍もある。人口は600万人で、大阪府と同じくらい。チベットは世界の屋根と言われるように、標高は平均4200mで、人々が暮らしている。マイナス20度以下が半年以上続き、夏は短い。文字や宗教、民族衣装も独特なものがある。

「ヤンジンさんは金持ちでしょう」とか、「チベットの偉い人の子ども?」「ダライラマの親戚ですか」と聞かれるが、私の家はそんな経済力や地位はない。とても田舎にある。村からバスで一番近い都会まで2日かかる。標高4000mで、農業はほとんどできない。果物やリンゴも育たない。子供のころ、父が小さなミカンを一つ持って帰った。毎日1房ずつ大事に食べた。とても貧しい家庭で、11人きょうだいの9番目に生まれた。すでに3人の兄姉が亡くなり、いまは8人きょうだいだ。私が幼いころは、村には電気もテレビもなく、日本の存在も知らないし、アメリカのことも聞いたことがなかった。毛沢東と聞いて、誰だろうと思ったほどだ。
いま日本にいて、こんなきれいな服を着て話をするのは奇跡的だ。幸せ指数で言うと100%。感謝するのは親、きょうだい、村の人だ。私より上の世代で、教育を受けた人はほとんどいなかった。親は文字が読めず、苦労した。薬を飲むときも処方箋の文字が読めないので、薬を実際になめて判断していた。
長兄は学校に行かずに放牧をして、私たちを支えてくれた。兄の家を訪れると最低限の物しかない。大阪の家には物がたくさんあり、生活の違いを感じる。山には木が育たない。1週間に5日間停電することもあり、燃料の石炭は高い。帰省した時に兄たちに石炭とコメを贈ったら、兄は泣いていた。
私自身は、小さいころは何をやっても駄目だった。9歳の時、放牧を任せられたのだが、村の牛を10頭も見失ってしまい、兄たちが捜してくれたこともある。そういう私がここまで育ったことに、長兄は感無量で泣いたのだと思う。

高校は、300キロ離れたところにある。高校に行かせてもらったのは、中学校で素晴らしい先生に巡り会ったからだ。家族を少しでも楽にさせたいと命懸けで勉強した。夜10時に消灯するので、公衆トイレの小さなランプの下で勉強したこともあった。トイレは深い穴に板を渡しただけだ。冬は寒く、夏は臭いトイレで必死に勉強したので大学に入れた。家が貧乏なので親たちは困り果てたが、村の人たちが布団からタオルまで持って来て送り出してくれた。
それでも大学4年間はつらかった。チベット人は山奥の秘境に暮らす野蛮人だと言われ、私は「蛮子」というあだ名をつけられた。いやがらせを受け、一時は大学を辞めようかと思った。でも考えに考えた末「親は泣かせない。家族を悲しませない。よし、卒業してやる」と心に決めた。絶対、いじめた3人より1点でもいい成績を取ると決めたら、パワーが出てきた。本当に悔しかったので、何かやって見せたかった。そうしたら合格して、その大学の先生になれた。頑張って結果を出せば分かってもらえると思った。世の中すべてが悪いわけではないと、この時初めてプラスの気持ちになれた。

卒業コンサートの日に、人生を変える出来事が起きた。私の部屋に2人の方が訪ねて来て「本当にチベット人ですか」と聞かれた。いじめに来たのかと思ったが、その日で卒業なので、強気で「逃げへんで」という気持ちで「はい」と答えた。すると、その方が満面の笑みで「チベットは素晴らしい所ですね」と言ってくれた。その方、今の主人です。人生はどんな出会いがあるのかわからないから、楽しみもある。もし5人がいじめても、6人目には「あなたを命懸けで守ってあげる」という人が現れるかもしれない。
主人は中国語で話しかけてきたが、少し変な中国語だったから少数民族出身者かと思った。「どこから来たんですか」と聞くと「日本からです」という。そこから日本という国に興味を持った。チベットを出てから初めてチベットを褒められた。そこに一筋の光が見えた。
一時期、チベットの山も羊も民族衣装もいやになったことがあったが、日本に来ると「チベット人」としてのアイデンティティーを取り戻すことができた。日本では、チベットの悪口を聞いたことがない。チベットの歌を歌うと、「懐かしい」「チベットの空が見えるようだ」と言ってくれる。日本に来て初めて、チベット人として胸を張って生きていくことができるようになった。

「日本に来てどうですか?」とよく聞かれる。日本はひと言でいうと「天国」です。皆さんは天国にいることをお気付きでしょうか。私の田舎は、バスに乗って2日間かけてやっと都会に出る。日本では飛行機、地下鉄があり、車はチベットの牛より多い。チベットでは手足を動かさないと物事が動かない。洗濯も川の冷たい雪解け水で、洗濯板でごしごし洗うが、日本には洗濯機がある。こんな便利な機械を誰が作ったのか、主人に聞いたら「知らん」と素っ気ない。それからパソコンで洗濯機の歴史を調べた。最初は一槽式だったのが、二槽式となり、今では全自動の一槽式になった。いろいろ試行錯誤を繰り返しながら、ここまできたことが分かった。それで洗濯機には、スイッチを押すたびに拝むように「頼むぜ!」と声を掛け、感謝する。

日本で暮らしてみて、はっきりとした季節感が最高だと思った。春の新緑、夏の海開き、秋のもみじの美しさ、冬も暖かい。うちの田舎は、夏が終わるとすぐに冬がくるという感じ。
日本に来なければ、チベットのことを考えることもなかった。なぜ日本民族はこのように著しく発展したか。主人の父親に聞きました。すると「日本は教育だよ。日本は島国で資源もあまりないから、人を一生懸命育てた」と言われた。人間も民族も国も教育によって発展する。私の息子はスイミング教室に行き、習字、ピアノを習っている。故郷にいる甥っ子、姪っ子達にとっては、学校が唯一の学ぶところだ。それが国の違いということだ。
中学校の校長先生の熱心な勧めで、私は高校に行かせてもらえた。夏休みで田舎に帰ると、あちこちの人から「手紙を書いてくれ」と言われて、高校時代はそれがいやだったが、お母さんから「何のために勉強するのか。勉強は人を助けるためじゃないの」と言われた。私は大学に行く時に村の人から助けられたので、他人の助けになるよう生きようと思った。

日本に来たのも、神様がそうさせてくれたと思う。日本のいいところを学んで、チベットの足りないところを考えて、チベットに学校を建てると決心した。ロッテリアで時給800円のアルバイトをして、小さい学校を建てた。そこから152人が育った。17年前のことだ。それからチベットに10校建てた。いまでは3000人の学生たちがそこで学んでいる。これが貧しい村の出身である、私の役割だ。だから私は日本に来させられたのだと思う。運命みたいなものを感じる。
私はチベットにこうなってほしいと考えて学校を作っているが、皆さんの日本での役割は何ですか。何か目標を持てば、勉強する力が湧いてくると思う。日本は世界最先端の国だ。日本がこれからも世界をリードしていくため、皆さん一人ひとりの力を発揮してもらいたいし、そして日本を代表する人物になってほしい!
(文責・井芹)


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平成28年度後期 崇城大学教養講座 日程表
9.23 山川 烈 (崇城大学副学長) グローカル時代を悔いなく生きるために
9.30 川﨑 博 (ホテル日航熊本社長) 二つの仕事を体験して思うこと
10.7 神田 陽子 (講談師・崇城大学各員教授) 講談と遊ぶ・学ぶ(まねぶ)
10.14 上村 春樹 (講道館長) 指導者の役割
10.21 山下 泰雄 (通潤酒造(株)社長) KPPと一緒にブルーオーシャンへ~造酒屋の冒険~
10.28 姜尚中 (政治学者・熊本県立劇場館長) 大学で学ぶべきこと
11.2 阿部 富士子 (造形作家・扇研究家) 知られざる「扇」の世界
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(敬称略)